野の花大好き 坂

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2010/05/22 Sat
S-kaki.jpg

”柿の花”

春には 柿の花が咲き
  秋には 柿の実が熟(ウ)れる
  柿の木坂は 駅まで三里
  思い出すなァ ふる里のヨ
  乗合バスの 悲しい別れ


 
愛知県から長野県に向かう国道153号線は、
稲武の町を過ぎると直ぐに路は、
急な上り坂となっていた。
 
 その、
九十九折となった道路の頂上には、一軒の峠の茶屋があった。

 この道は、伊那街道或いは、姫街道とも呼ばれ、
又、塩の街道としても、とても重要な道だったのである。

 これは、
戦国の世の話なのであるが、
この道の先には、甲州があった。
甲州と云えば、かの有名な”武田信玄”の国である。
いまの言い方をするならば、この三河の稲武の町は、
三河の支配者である”徳川家康”(この当時は、松平 元康)と、
武田信玄とが、覇権を争う最前線だったのである。

 一方に於いて武田信玄は、
越後の国主”上杉謙信”とも、激しく北信濃の地を巡り
川中島の合戦のように、相骨肉の争いをしていたのである。

 甲州と云う国は、
南は,赤石山脈、
北には、八ヶ岳連峰、
西には、木曾山脈、
そして西北に、飛騨山脈などの高い山に周りを囲まれた盆地の国である。

 上杉謙信との川中島の合戦は、決着がつかずに長期に及んだ。
海を持たない武田信玄の兵は、
太平洋の”塩の道”を徳川家康に押さえられて、
日本海は、上杉謙信の越後の国であった。
そんな状況の中で、塩が無く、塩不足に追い詰められた信玄の兵たちは、
次々と、塩不足の為に”脚気”になったりして、
もはや戦う事すら間々ならない状態に追い込まれてしまったのである。
そんな折、
敵の”上杉謙信”から「塩」が届いたのである。

 考えてみたら”上杉謙信”は凄い武将である。
弱った敵を、たとえ滅ぼそうとも、「余は 意にそぐわない」と言ったと伝えられている。

”敵に塩を送る”
と言う、"ことわざ"の、起源だと言われている。

 その”塩街道”と呼ばれた、峠の茶屋のあった坂を
”柿の木坂”と、以前は呼んでいた。
それは、
峠の茶屋から、すこしばかり離れた場所に、大きな一本の柿の木があって、
秋になると、この地方には珍しい”富有柿”が、実をたわわに実らせてあったからなのであった。

 いまでは昔話に、
国道153号線は、名残の急カーブを二つ、三つ越えるとトンネルになっている。








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